最近読んだ本から

『下山の哲学』

    竹内洋岳 著 2020年 太郎次郎社エディタス     1800円+税

 『下山の哲学』というタイトルから、下山について何か論じる本なのかと思いました。しかし、本を開くと、彼が登った8000m級の山14座について書かれた本でした。

 彼は日本初の8000m峰完全登頂者なのです。

 その下山の様子を中心に書かれた本としては、今までに無い本と言えますが、どこにも論文のような文章はありません。『哲学』とはたいそうな。と少し思いました。

 しかし、読んでいくと、登山への考え方が彼なりの論理で貫かれており、行動はその検証になっていることがわかってきました。

 「大切なのは登頂することではなく、登頂して無事帰ってくることです。頂上はゴールでも折り返し地点でもありません。登山の行程は一つの輪のようなものです。頂上が輪のどこに位置するかは、ゴールしてはじめてわかること」と書いています。考えてみれば、14座を登頂し無事帰って来たということは簡単なことでは無いのです。日本人でもこの挑戦を行い、途中で遭難して亡くなられた方もいます。

 竹内さんもエベレストでは病気で生死の境をさまよい。ガッシャーブルムでは雪崩に巻き込まれて大怪我をし、背骨にシャフトを入れる手術をしています。

 また、挑戦しても登頂できずに敗退したこともあります。しかし、それらのことを「しかたがなかった。運が悪かった」とは彼は考えません。「しかたがない。と言ってしまうとそれで終わりです。思考停止で、後には何も残らない。運が悪かったというのもそうですが、私はもうこれ以上考えませんと言っているのと同じ」というふうに考えています。

 そうした考えで行動を振り返り、反省して次に生かしているから14座も無事に登れたと言えるのかもしれません。

 しかも「言うは易く行うは難し」なところを強い意志で彼は確実に実行しているのです。

 2010年にチョ・オユーに登った時も、7700mまで登った時、雪崩の破断面を上に見つけ、引き返しています。同行した中島健郎があとで「ぼくひとりなら行っていた」と言うくらいの場面です。それだけではなく、そのときのことを、彼は危ないと感じた瞬間から10歩も進んでしまったと反省しているのです。

 また2回目のチョ・オユーでも、登頂して後、下山でルートがわからなくなってしまいます。迷ったら元の場所まで戻るのが登山のセオリーですが、それを1歩1歩登るのも大変な8000mで登り返すのです。そして、正しいルートを見つけ無事下山します。

 この本は、いわゆる「哲学書」ではありません。

14サミッターとしては、いかに登頂したがが話題になるところでしょう。しかし、この本は、登頂は出発からゴールまでの輪の中の一つであると言う彼の考えを、実践を通して証明した本になっていると私は思いました。

 読み終わって、「たいそうな」と思ったタイトルも腑に落ちるように思いました。

『凍える海』

 極寒を24ヶ月間生き抜いた男たち  ヴァレリアン・アルバーノフ著 海津正彦 訳

ヴィレッジブックス社から文庫本で2008年に出版されています。

 本の帯に椎名誠が「面白かった! こういう逸品といってもいいような話を読めるしあわせをつくづく感じながら一気に堪能してしまった」と書いています。また、この本の解説も椎名誠が書いています。

 椎名誠は、解説を書くにあたって本文を読んだ人を想定して書いたと書いています。私もたまにそうですが、本文を読む前に解説を読んでしまうことがあるからです。

 私は、本文を読む前の人を想定してこの文章を書くことにします。

 副題に「極寒を24ヶ月間生き抜いた男たち」とありますから、生還できた実話であることは話しても良いでしょう。

 北極探検に出かけたロシアの聖アンナ号が氷に閉じ込められて2度の冬を越します。

航海士だったアルバーノフはこのままではいけないと判断し、船長から航海士の任を解いてもらい一人で脱出する決意をします。

 後から一緒に行くことを求める仲間が出ますが、アルバーノフは同行を強制してはいません。

船長からはスキーで行くことを勧められますが、彼は重いソリとカヤックを引いて行くことを決め、準備をします。それが結局良かったことは、後でわかってきます。

 

「氷で閉じ込められた」ということでは、イギリス人シャクルトンが南極の氷に船が閉じ込められ、そこから全員奇跡的に脱出できた話が思い浮かびます。

 こちらは、イギリス人と違ってロシア人ということもあるのかもしれませんが、もっとドロドロとした人間臭いドラマになっています。

 その中で、生き抜いた著者であるヴァレリアン・アルバーノフの強い意志には驚かされます。しかし、強い意志だけでは到底敵わない極寒の自然がそこにあります。

 例えば、やっと島に近づいてもそこには、見渡す限り高さ30mほどの垂直の氷河の末端がそそり立っていて、「青みを帯びて透きとおり、ナイフで切り落としたように滑らかだ。その氷崖の上縁が三日月のように反り返っている」と書かれているように行く手を遮ってしまうのです。

 こうした危機的な状況からも奇跡的に脱出していますが、よく読むと、アルバーノフの行動がその奇跡を引き寄せているようにも思います。

 例えば行く手を遮る氷河の断崖にわずかな登路を見つける場面も、氷の海に落ちても力一杯パドルを漕ぐことで体を温め、その状況から脱出する場面も、生き抜こうという強い意志があればこそです。

 それは、途中で亡くなって行った仲間の様子が、壊血病のせいもあるでしょうが、あまりにも無気力で生き抜こうとすることを簡単に諦めてしまうのと対照的です。そうした仲間を叱咤しながら彼はフローラ岬を目指します。

 フローラ岬に達した時の喜びははかり知れないものだったでしょう。

 こうして生還したアルバーノフですが、それから5年後の1919年に38歳の若さで亡くなっています。病死とも事故死とも諸説あるようです。

 

 椎名誠さんの解説では、極地探検の書名が他にも紹介されています、私がまだ読んでいない本もありました。この本を読まれて、極地探検に興味を持たれたら、そうした本も読まれると良いと思います。

 この本の翻訳者は海津正彦さんです。この本の前に紹介したK2の本も海津さんの翻訳でした。

『凍える海』のヴァレリアン・アルバーノフは、アムンセンやスコットやシャクルトンほどは知られていないかもしれません。よくこの本を翻訳してくださったと思います。

 

世界第二の高峰K2に関する本

 エベレスト(8848m)よりも西、パキスタンの北部、カラコルム地方にある世界第二の高峰がK2(8611m)です。

 K2は、エベレストよりも低いのですが、登山者に対する遭難者の比率はエベレストをはるかに上回っているのです。

 私が最初に読んだ本は、『K2 嵐の夏』という本です。その後、K2関連の本を立て続けに読みました。


 『K2 嵐の夏』クルト・ディームベルガー著 海津正彦訳 2000年山と溪谷社

 本の帯にもあるように13人の遭難死者を出した1986年K2登山の詳細を生還した著者が書いたものです。クルトのパートナーのジュリーも亡くなっています。

 過去最高の27名の登頂者が出るという年でもあったようですが、この本を読むと、その登山者の過密も事故の原因になっていることが伺えます。

 登頂はしたものの下山の最中に亡くなっている人が多いのです。

 こうした山では、他者のテントなどを借りることが当たり前のことなのだろうかと読んでいて思いました。他者のテントをあてにした登山者でテント内が超過密になってしまい、睡眠もろくに取れない状態など現場の状況が詳しく書かれています。

 過密といえば、エベレストの山頂近くの渋滞の写真が今年新聞に出て驚きました。2021年1月12日まで板橋の植村直己冒険館で日本山岳会主催のエベレスト展が行われていますが、そこに展示されている写真パネルにもエベレストの登山者渋滞の写真がありました。

 8000mを超える世界で、天候の急変があればたちどころに生命は脅かされます。テントの中に避難をしていても、居るだけで命が削られていくのが8000mを超えるいわゆるデスゾーンのようです。

 

 もう1冊は『K2 非情の山』チャールス・ハウストン ロバート・ベーツ共著

伊藤洋平訳 1956年白水社

 こちらはアメリカ登山隊の記録です。1953年の登山では、登頂を目前にしながら隊員の一人が静脈の血栓症にかかったため、その隊員を降ろすことにします。その最中に、5人が次々と滑落する事故が起きるのですが、それを一人がザイルの確保で止めるのです。

 残念ながら血栓症の隊員は、確保してあった場所へ隊員が戻るとおそらく雪崩に流されてしまったのでしょう、折れたピッケルだけ見つかり行方不明になってしまったのです。それ以外の隊員は無事生還できました。

 この本は、後ろの方に遠征日記や装備品の一覧があるなど記録としてもしっかりとした本になっています。

 横山厚夫氏からお借りした本ですが、1956年出版の本ですからだいぶ古くなっています。新装された本が出ても良さそうなものですが、それは無いようです。古書としてもなかなか見つからないですし、ネットで調べても当時350円の本が5000円ほどになっています。

 

 この図は、『K2 非情の山』に掲載されているものです。寝袋に包んだ病人のギルギーを確保していたシェーニングのザイルに次々と滑落していく仲間のザイルが絡まり、結局シェーニング一人がみんなを確保することになったのです。ナイロンザイルが細く伸びてショックを吸収したそうです。


 先の2冊を読んだ後、この2冊を読みました。

『K2 非情の頂』ジェニファー・ジョーダン著 海津正彦訳 2006年 山と溪谷社

『K2 苦難の道程 東海大学K2登山隊登頂成功までの軌跡』出利葉義次著2008年 東海大出版会

 東海大の本を読むと、天候に恵まれるとこうも違うのかと思います。もちろん成功させるまでの準備や判断など大変なものだったと思います。読みやすい文章で書かれています。残念なのは、この本には写真は図版が1枚もないことです。

 ジェニファー・ジョーダンの本は、K2に登頂した5人の女性に焦点を絞って書かれた本です。5人のうち3人がK2の下山中に亡くなり、あとの2人も他の山で遭難死しています。かなり、一人一人の女性の人間性に迫る内容になっています。なぜそこまで登山に取り憑かれるような生き方なのかと思ってしまいました。

 

 K2の本を紹介してきましたが、読むのをまずオススメするのは、最初の2冊です。しかし『K2 非情の山』は手に入りにくいでしょう。図書館にもありませんでした。

 

 さて、K2の本を読んできましたが、私はK2の地理的な把握が今ひとつできませんでした。

ベースキャンプからの写真を見て、肩の部分はわかりますが、南東稜、南南東リブはこれだろうかと推測するだけです。どこに「ハウスのチムニー」と呼ばれる難所がどこにあるのかわかりません。

 もっとわからないのは、どうやってK2のベースキャンプへ入山するかです。

何日もかかるのは本を読めばわかります。断片的な写真が頭の中で繋がっていかなかったのです。

 その時に役立ったのが、私の趣味の一つであるフライトシミュレーター です。これで、パキスタンはインダス川沿いの町、スカルドからどのように近づいて行くのか確かめました。かなりの距離です。『K2 非情の山』のアメリカ隊はスカルドからベースキャンプまで16日かかっています。

フライトシムでもその距離を実感しました。ヘリコプターでは飽きるほど時間がかかるのです。

 バルトロ氷河に出てからも長いです。バルトロ氷河から別れてK2へと向かう分岐点のコンコルディアと呼ばれる場所にフライトシム でヘリコプターを着陸させ景色を眺めてみました。

 奥に見事なピラミッドのK2が聳え、右にはブロードピークがあるのがわかりました。

 分岐点のコンコルディアからK2ベースキャンプまで歩いて1日かかるのです。

 K2に関しては、読書だけでなく、フライトシミュレーターも使っての理解となりました。本当なら、バーチャルではなく、現場の空気の中で山を眺めたいところです。そうすれば、崇高な山々を感動を持って眺めることできるでしょう。

 K2に関しては後2冊読もうと思う本がありますが、本の紹介はここまでとします。

『洞窟オジさん』

     加村一馬 著  2015年 小学館

 本よりも先に私はNHKBSでの4話連続の放送を見た。本もオススメだが、テレビドラマもかなり良い。今はNHKオンデマンドで見ることができる。

 テレビドラマでも「ほぼ実話です」といったテロップが表題とともに出るが、本を読むとそれが頷ける。

 この本は、2004年の小学館から出された『洞窟オジさん 荒野の43年 平成最強のホームレス 驚愕の全サバイバルを語る』に加筆・改稿したものだそうだ。

 本編の後にはテレビドラマで加村一馬を演じたリリー・フランキーさんと加村さんとの対談や、テレビドラマの演出家、吉田照幸さんによる解説、さらに加村さんのサバイバル術が図解入りで載っている。

 これは文庫本だが、中身の濃い本である。

 演出家の吉田さんはテレビドラマのキャスティングを考えるときに、加村さんがリリー・フランキーさんに似ていることに気がついたのだそうだ。

 テレビドラマは他の配役も良い。

繰り返しになるが、このテレビドラマはオススメだ。

 

 さて本の紹介だが、テレビドラマには無いエピソードもある。

それは熊に襲われた時のことだ。

 テレビではイノシシにわざと自分に向かって突進させ、あらかじめ掘ってあった落とし穴に落とすシーンが出てくる。これは、本にも出てくるし、図解入りのサバイバル術にも書いてある。

 熊に襲われたシーンはテレビには出てこないのだが、本に書かれているこの時のことはなかなか衝撃的である。加村さんは必死に走って逃げ、追いつかれそうになる。木に登って逃れようとするが、熊も木登りは得意である。迫ってくる熊に対して反撃するのだが、さてどうするか詳しくここに書くのはやめておこう。

 吉田さんはこのシーンをドラマ化することも考えたそうである。しかし、着ぐるみでもCGでも嘘っぽくなりそうでやめたのだそうだ。

 

 墓参りのシーンがテレビで出てくる。吉田さんはテレビでは過去を乗り越えた場面として扱いたかったようだが、実際には、加村さんは墓石を蹴飛ばしてやろうかと思ったそうである。

 幼少期に親から虐待され、雪や雨の日でも一晩中墓石に縛り付けられたのだそうだ。親からの度重なる虐待から逃れるため家出をしたのだが、街へではなく、山へ向かったことが、加村さんを非行の道へ進ませなかったのだろう。

 加村さんは、足尾銅山の山の奥の方の古い廃坑に住みかを見つけたのである。

 愛犬シロと一緒だったのも幸いだった。「怖さには耐えられるが、寂しさには耐えられない」と加村さんが言っている。

 そして、ウサギを捕まえ、蛇やカエルを食べるサバイバル生活が始まる。

 

 愛犬シロを病気で亡くし、山を降りて、各地を転々と移動するが、出会った人が良かったのも幸いだった。

 

 茨城県小貝川の橋の下で生活していたときに、九州から来たホームレスの元会社社長から文字の読み方書き方を教わっている。加村さんはほとんど学校へ行っていないので、文字の読み書きができなかったのである。

 この元社長さんも大した人だと思う。平仮名から教え、徐々に漢字も教えるのだが、宿題を出しテストもするという徹底ぶりなのだ。

 

 小貝川での生活から、生まれ故郷の群馬にある福祉施設にお世話になるが、そこに自分の居場所を見つけたようだ。加村さんの栽培する無農薬のブルーベリーは県外からも買いに来る人がいるそうである。

 

 この本の最後にある図解入りのサバイバル術を見ると、生きるための様々な工夫を自分で行なっていたことがわかる。学校に行かなくても考える力を身につけていったのだろう。

 テレビゲーム漬けになっている子どもよりよほど賢い。

 

 テレビドラマとこの本の両方ご覧いただきたいと思う。

『百名山の人 深田久弥伝』

     田澤拓也 著  2002年 TBSブリタニカ 

             現在は角川文庫から文庫版でも出ている

『百名山の人 深田久弥伝』田澤拓也 著

 
 深田久弥の名前は、テレビで百名山のタイトルがつく映像が流れるのでご存知の人が多いだろう。
その山の魅力を独特の表現で褒め称える言葉も語られるので、『日本百名山』を読んだことの
ない人も、なんとなく深田久弥についてわかった気になっているかもしれない。

 この本を読んで初めて知ったことがとても多かったというぐらい私は氏のことを何も知らなかった。

田澤氏のこの本は
第一章 茅ヶ岳に死す
第二章 二人三脚
第三章 運命の再会
第四章 追わるる人
第五章 ヒマラヤの道標
第六章 百名山の人
というように書かれている。
 前妻の北畠美代さん、再婚された木庭志げ子さんのことが伝記には多く書かれている。
それだけ、このお二人は大きな影響を深田氏の人生に与えたということだろう。

 深田氏が山歩きに興味を持ったのは、小学校最上学年の時に、富士写ヶ岳(942m 石川県)に登った時このと、足の強いことを褒められたからだそうである。そして帝大の1年生の時には八ヶ岳に三人で登っているが、後輩の一人をそこで亡くしている。
 高校から大学時代には、同人誌に参加するなど文学を志す姿が浮かび上がってくる。
 25歳の時に日露戦争の軍神・広瀬中佐を描いた『実録武人伝』は「組み立てが新しい」と横光利一氏に褒められている。
 その後、深田氏が務めていた改造社の懸賞小説に応募してきた北畠美代さんと結婚するが、その頃から深田氏の小説の書風が変化したようだ。美代さんが下書きしたものを、深田氏が書き直して深田久弥の名前で発表するという第二章の表題のことが行われたようだ。
 美代さんの故郷の青森県立図書館には、美代さんの原稿が保存されており、それによると、深田氏の小説には、ほとんど美代さんが書いたものと同じ表現や内容が使われていることをこの本では紹介している。
 再婚相手の志げ子さんは、深田久弥氏が高校生の時の初恋の人だそうだ。その初恋の人と大人になって再会したのである。
「雨飾山」という2000mに満たない山が百名山に入っている。この山がどういう意味を持つ山なのか知っている人は知っている。詳しくはこの本を読んでほしい。
ただ、双耳峰の雨飾山を見て「左の耳は僕の耳、右ははしけやし君の耳」(はしけやし=愛しけやし 愛おしいの意)と深田氏が口ずさんだということだけ書いておこう。
美代さんと正式に離婚が成立した時には、志げ子さんのお腹には第二児がいたそうである。
 その二男の沢二氏と私は1回だけ山歩きをご一緒したが、沢二さんのことがこの本に出てくると、ふと懐かしく思い出される。

 深田久弥氏が世の中に広く知られてくるのは、「百名山」の前に、ヒマラヤに関する本があった。
昭和31年には、日本隊がマナスル初登頂を成し遂げるが、その年に深田氏は『ヒマラヤ 山と人』という本を出している。
 他にも記事を書くなどしており、深田久弥が山の第一人者と認識されるようになってきたようだ。
遭難があると、新聞社は深田にコメントを求めたらしく、それを嫌がる様子がこの本の第五章に書かれている。

 『日本百名山』は朋文堂の山岳誌『山と高原』に連載されたのが最初である。連載を持ちかけたのは大森久雄氏である。
1回に2つの山を紹介したようだが、1つの山の紹介に400字ずめ原稿用紙5枚というスタイルはこの時に決まったらしい。
 連載が終了した後、新潮社から『日本百名山』が刊行されている。
この本が昭和40年に第16回読売文学賞の評論・伝記賞に選ばれたのである。
日本百名山を批評文学として捉え推薦したのは小林秀雄である。
『日本百名山』に関しては、大森久雄氏と小林秀雄氏が大きな貢献をしていることが読める。
この辺りのことは第六章 百名山の人 に書かれている。

 山の先輩から『深田久弥 山の文学全集』をいただいたが、その付録の冊子に望月達夫さんが深田氏の原典主義について書いている。孫引きをけっしてせず、資料は原書にあたっているというのである。
 そういえば、この伝記にも私の山の大先輩である横山厚夫氏が、深田氏から頼まれて神田で本を探して送ることが書かれている。
 そうして膨大な量の資料を元に原稿を書き、推敲して研ぎ澄まされた文章にすることが深田氏の文学の力なのだろう。
 余計なことかも知れないが二人三脚時代も、前妻・美代さんの懸賞小説投稿原稿を約半分まで削って作品化したようだ。
 俳句を若い頃から好んでいたことも、研ぎ澄まされた文章にすることと関連があるかも知れない。
深田氏は、本当は恋愛小説のようなものは苦手だったのではないだろうか。それならそれで良いと私は思う。
 人の心の機微を描かないと文学作品と呼ばれないなどと私は思わない。
小林秀雄氏が評論文学として日本百名山を認めているように、素晴らしい文学作品だと思う。
凡人がダラダラと山の紀行文を書くのとはわけが違うことを改めて認識する機会となった。


 

回想の第三帝国 反ヒトラー派将校の証言

 アレクサンダー・シュタールベルク著 鈴木直一訳        1995年  平凡社  

 ヒトラー関連の本は、他にも、このページの下の方に建築家で軍需相を務めたシュペーアの本を紹介してあります。

 シュタールベルクは、マンシュタイン元帥の伝令将校を務めた人物です。

若い時から、ナチに抵抗を感じ、ナチに入党を迫られるのを回避するために国防軍に入ります。

当時、ナチに組織的に対抗できたのは国防軍だったようです。

 騎兵連隊の後戦車部隊に所属しますが、従兄弟のヘニング・フォン・トレスコウ少将の推薦で、マンシュタイン元帥の伝令将校となります。

 これは、反ヒトラーの動きをしていたトレスコウがマンシュタインを反ヒトラーの仲間に引き入れるために行ったことのようです。

 トレスコウはヒトラー暗殺のために動き、暗殺が失敗すると自決します。

 マンシュタインは、スターリングラードで包囲されたドイツ軍を救おうと、ヒトラーに作戦変更を直接訴えるなど、ヒトラーに盲従する人物ではなかったようです。しかし、「プロイセンの元帥は謀反は起こさぬ」という信条からヒトラー暗殺に加わりませんでした。

 ヒトラーは、スターリングラードからの撤退を許さず、現地の司令官に死守するよう命じます。

ヒトラーの暗殺計画には加わらなかったものの、無策なヒトラーに腹立ち、対立して行ったマンシュタインはヒトラーから解任されてしまいます。

 そうした動きをそばにいて客観的に観察していたのが著者のシュタールベルクなのです。

マンシュタインも『失われた勝利』という回想録を戦後書いています。この本は図書館にも無く、古書でも高価なので、読んでいません。

 読んでいませんが、シュタールベルクの方が、ヒトラーやマンシュタインなどの将軍を客観的に観察し、よくその有様が描かれているのかもしれません。

 

 本のカバーの折りかえしに

 この本は、とりわけ、父親たちの生きた時代を理解することが困難な若い人々に向けて書かれている。「どうしてお父さんたちは、ああなるまえに阻止できなかったの」「どうしてあんな精神病者の後について行ったの」という質問を受けるたびに私はなんとか答えを見つけようと四苦八苦したものである。この本は歴史書にとって代わろうとするものではない。・・・ここに報告することは、私自身の体験である。  (プロローグより)

 とありますが、こうした実体験が語られた本は時代の証言であり、貴重であると私は思いました。

南極の本を読む その2 バード少将の本

 南極については、アムンセン、スコット、シャクルトン、チェリー・ギャラード、といった人たちの本を今まで読みました。アムンセンやスコットについては、名前をご存知の方は多いと思います。シャクルトンやギャラードについて知っている人は、本を読んだ人でしょう。

 リチャード・E・バードについては、前回『南極物語』を読むまで私は知りませんでした。

このことを南極の本を貸してくださった横山厚夫さんにお話ししたら、バード少将の本を2冊貸してくださいました。それが、『孤独』と『バード南極探検誌』です。


 『南極探検誌』は南極の鯨湾近くにリトル・アメリカという基地を建設するまでのこと。『孤独』はバードがリトル・アメリカからさらに南極点に近づいたところに観測基地を作り、そこに一人で越冬して気象観測をした時のことが書かれています。

 『南極探検誌』は、後編を出版するつもりで前半部分だけ先に出版された本です。バードが飛行機で南極点に到達したことは後半に載せる予定になっていたようですが、後半の本が出版されたのかどうかはわかりません。

 探検誌の方は、南極探検のための資金や資材集めから基地建設、飛行機による観測などバードの南極探検がよくわかる本です。訳者あとがきを見ると後半の章立てまでされています。ですから、後半の本が出版されていて、それを読むことができるのなら、前半のこの本と、後半の本でバード少将の南極探検をとても良く理解できます。ネットで検索しましたが、後半の本は見つかりません。

 

 『孤独』はリトル・アメリカの基地から極点へ向かって200㎞ほど入ったところに作られた観測所です。そこに1934年の3月から8月までの5ヶ月間1人で生活して観測をした時のことが書かれています。

 内容については、北大山岳部のホームページにわかりやすく書かれているので、そこをご覧ください。

https://aach.ees.hokudai.ac.jp/xc/modules/Center/Review/trance/kodoku.html

 

 私は、この内容もさることながら、翻訳されたこの本が昭和14年に日本で出版されたことに驚いています。昭和14年と言えば、日中戦争の最中です。この後2年後には、対米戦争も始まります。

 当時の世の中の様子は私は想像するしかありません。この本には訳者あとがきはなく、扉の部分に「興亜聖戦の第一線に立つ幾百萬の同胞に本書を捧ぐ」とありますが、それは私には出版をするためのカモフラージュに見えてしまいます。

 この本を読めば、アメリカ人の勇気や偉業だけでなく、その人間性に共感できます。

 

 おそらく、その後どんどん軍国主義の世の中に国民全体が飲み込まれて行ったのだと思います。

様々な人の生き方から学び、自己の豊かな人間性を向上させていこうということがしにくくなり、画一的な風潮に押しながられて行ったことを想像します。

 しかし、それは過去のことではなく、現代でも起こりうること、あるいはすでにある?ことなどを危惧することが必要だと思います。

 幅広い読書は、陥りやすい罠にはまらないための手立ての一つと言えます。

 

南極探検の本を読む

 昨年夏にも南極探検に関する本は読んだのです。スコットやアムンセンについての本を読んだあと、シャクルトンについて何冊も読みました。それはこのコーナーでも紹介してあり、バックナンバーで見ることもできます。

 今回は、チェリー・ガラードの『世界最悪の旅』の全訳本を読むことができたので、その紹介が中心です。

 中公文庫から出されている『世界最悪の旅』加納一郎訳は抄訳です。中田修氏による全訳本が出されたのは、2017年です。杉並区の図書館にも抄訳しかおいていなかったのです。山登りの大先輩である、横山厚夫氏が持っていらっしゃることを知り、お借りして読むことができました。

 その際に、関連する本を何冊も貸していただき、読んでいる最中です。

 抄訳と全訳ではこれほど本の厚さも違うのです。値段もかなり違いますが。

しかし、今回、全訳本を読んでみて、この本は自分でも購入しようと思いました。

 

 全国の図書館に蔵書されていて当然の本だと私は思います。

 

 全訳本

  アブスリー・チェリー ギャラード『世界最悪の旅』中田 修 訳 

                           オセアニア出版社  7000円

 

 全訳本には、スコットと一緒に亡くなった医師のウィルソン氏が描いた絵がたくさん掲載されています。丁寧な観察で描かれた南極の景色も素晴らしいのですが、そうした絵だけでなく、クレバスに落ちた時の様子や、「最後の犬」と題された絵も印象に残ります。テントに戻る人物の後ろ姿しか描かれていないのですが、主人と歩く犬の足跡が片道だけしかついていないのです。

 

 南極点に向かうための補給所設営のための旅で、ガラードとパワーズとクリーンの3人とポニーが氷に乗ったまま流されるという事件があるのですが、それは抄訳本には掲載されていません。パワーズの書いた文章がそのまま全訳本にはありますが、氷の隙間からシャチが狙う様子など恐ろしい感じが伝わってきます。

 

 このように抄訳本では味わえないものが全訳本にはあるのです。

購入しない方は、ぜひ地元の図書館への蔵書のリクエストをしてください。

 この中で、全訳本に続いてオススメなのが、全訳本の訳者である中田修氏による『南極のスコット』です。清水書院のCentury Books という新書版のシリーズの1冊です。この本は、南極探検の概要について把握するのに良い本です。

 『白い道』ローレンス・カーワン著 加納一郎訳 社会思想社 は南極だけでなく北極も含めて極地探険の歴史を知ることができる本です。

 ド・ラ・クロワの本は少々古いですが、『南極物語』に出てくる、バード少将については、私はこの本を読むまで知らなかったのです。

 リチャード・バード少将は飛行機で初めて南極点に達した人です。そのあとも単独で南極での観測を行ったり、アメリカ海軍を指揮して大規模な南極調査を実施した人だったのです。なぜ今までこの人のことについて知らなかったのだろうと読んで思いました。

 この2枚の写真は、フライトミュレーターの写真です。私がシミュレーターでヘリコプターを操縦し、南極のロス島の上を飛んでいるところです。向こうに見える山はエレバス山という火山です。近年では2005年に小規模な噴火があり溶岩も観測されているそうです。

 世界最悪の旅は、南極の冬、太陽が登らない暗黒の中をシムの写真だとエレバス山よりも右奥になるテラー山の麓のクロージア岬まで皇帝ペンギンの調査に行く冬の旅のことを指しています。

 現代の基地が写っているのは、ハットポイントと呼ばれる場所で、スコットの基地はここよりさらに20㎞ほど左奥にあります。

 冬の旅では、スコットの小屋からハットボイントまで来て、そこから鋭角に折れ曲がるように凍った海沿いの道を進んでいます。

 なぜ、ハットポイントを通らずに最短距離を直進しないかなどは、フライトシムで飛んでみればすぐわかります。半島の尾根になっていて、急斜面があったり起伏にとんだ地形をしていて、とてもソリを引いて進める場所ではないのです。

 本を読んでいて、3日かかったとか5日かかったとかの記述がありますが、それがどの程度の距離なのかは、フライトシミュレーターで飛んで見るとよりわかるのです。もちろん、実際に行けば、寒さや標高の高さ(南極点の標高は2800mだそうです)などがわかるのでしょうが、本で読む想像力+私の場合はフライトシミュレーターで南極大陸を体験しているところです。

ヒトラーの建築家

ヒトラーの建築家 東 秀紀 2000年9月NHK出版

 

 アルベルト・シュペーアについて書かれた本です。彼は建築家ですが、ヒトラー政権において軍需相も務めた人です。

 ニュールンベルグ裁判で有罪を言い渡され、20年ののちに釈放され、76歳で亡くなっています。

 史実に基づいて書かれた本ですが、会話など小説的に描かれています。その分、内容に入って行きやすい感じがします。

 

 ヒトラーに関する本は、読んでみたいとも思っていませんでした。しかし、山の大先輩から貸していただいた20年前に出版されたこの本は、私の知らなかったことが多く新鮮な内容で、興味深く読むことができました。

 ヒトラー政権の狂気の時代にいた人物たちの中で、シュペーアが人間的な理性や道義心を持った人であり、彼が主人公なので、ヒトラーやその他の登場人物が描かれていても穏やかに読むことができたことも読みやすさの一つだと思います。

 彼は、かなりヒトラーに近い立場にいました。友人関係に近いと言えるくらいです。戦争末期にヒトラーが焦土作戦を命じたときに、ドイツの将来を考えてそれに反対します。秘密裏に妨害工作もします。焦土作戦を妨げる動きをしたあと、シュペーアがベルリンの地下壕にヒトラーに会いに行きます。この本では、ヒトラーがそうした動きを「知っていたよ」とシュペーアに告げ、それでも許したとされています。

 ニュールンベルグ裁判では、他の戦犯被告人が無罪を主張したのに対し、シュペーアがただ一人自分の罪を認めたそうです。

 シュペーアが死刑ではなく、20年の刑になったのは、ホロコーストに関して関与していなかったからとされています。しかし、戦後色々な調査の中で、「知らなかった」というのは偽りである証拠も出てきているようです。

 

 彼がヒトラー政権の狂気の時代ではなく、違う時代に生まれていたなら、もっと素晴らしい形で活躍したことだっただろうと推測されます。

 

 興味を持たれた方はネットの中古、古書店あるいは図書館でこの本を探してみてください。

 

フォッケウルフ戦闘機

フォッケウルフ戦闘機  鈴木五郎著 

            光人社NF文庫

 

 古書店の100円コーナーで見つけた本です。これが意外と興味深い本でした。

 そもそも、私はドイツの戦闘機についてメッサーシュミットぐらいしか知らなかったのです。

 読んでいくと、フォッケウルフという飛行機はメッサーシュミットよりも高性能であったことがわかりました。

 ナチス御用達のメッサーシュミット社が優遇されていて、フォッケウルフが優秀な飛行機であったにもかかわらず、なかなか量産されなかった事情など読んでみて初めて知ることでした。

 メッサーシュミットは高速ですが、旋回性能がそれほど高く無いので、一撃離脱方式の戦法に向いていたようです。

 また、航続距離もそれほど長くなかったようです。

 フライトシミュレーターにはメッサーシュミットがあるので、零戦と飛び比べをしてみました。

旋回性能は格段の差があり、零戦に軍配が上がります。

 フォッケウルフですが、タンク技師は優遇されない事情の中で、色々なアイデアを持って設計したようです。最初の機体は空冷のエンジンを積んでいます。日本の場合は零戦など空冷のエンジンが主流ですが、ドイツでは水冷のエンジンが主流だったのです。タンク技師は前線においても修理しやすいエンジンや機体の設計をしたようです。

 空冷のフォッケウルフは日本にも輸出されました。その記事も載っています。日本の紫電改のような感じです。

 この本に刺激を受けて、プラモデルを買ってしまいましたs。Fw190D9という水冷の機体です。

長鼻ドーラという愛称があったようです。

昔は、模型屋が歩いていける範囲に3軒もあったのですが、今は1軒もありません。今の子どもたちはプラモデルを作らないのでしょうか。

 ヨドバシカメラがプラモデルを置いていることを知り、そこで買いました。

 

 本の方は、フォッケウルフのことだけでなく、メッサーシュミットやスピットファイアーのことも書かれています。

 また、優秀なパイロット達の話もたくさん出てきます。それがまた興味深いです。

イギリスのダグラス・R・S・バーダー少佐は両足を切断する負傷を負っても義足でハリケーンを操縦しドイツ機を撃墜したそうです。

 しかし、敵機と接触し、パラシュート降下で助かったのですが、ドイツ占領地の病院に入れられます。そのことを知ったドイツのエース アドルフ・ガーランドが見舞いに来た話は秀逸です。

 ガーランドは決して尋問せず、飛行場を案内までしたそうです。

その好意に甘えてバーダー少佐はメッサーシュミットのコクピットにも乗せてもらったようですが、その時「飛行場を1周するだけ飛ばさせてもらえないか」とガーランドに言ったそうです。ガーランドも「気持ちはわかるが、あなたが飛べば私もすぐ後ろを飛ばなければならなくなる。もう撃ち合いはしたくないから、許してもらえませんか」と言ったそうです。

 義足のバーダー少佐の話は映画にもなったそうですが、どうも映画の評判は良くないようです。

 ガーランドは、戦後アルゼンチンの空軍顧問をしたようですが、『始まりと終わり』という本が翻訳で出されています。それも読んでみたいのですが、少々高価で、しかも図書館には無いようです。

 

 今回紹介した本は、古書で100円で手に入れましたが、定価も790円ですから、戦闘機に興味がある方は読む価値があると私は思います。

 プラモデルは完成しました。

 搭乗員は付属していませんから、別に1/72の搭乗員セットを購入しました。ただそれらは機外に立つ人物ばかりなので、手足を外し、付け直してコクピットに収めました。

風景写真との合成にしてみました。


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