最近読んだ本から

YS-11に関する2冊の本


 YS-11が戦後初の国産旅客機であることと、それがターボプロップというジェット機とプロペラ機に間のようなエンジンであることぐらいは知っていたが、それ以上のことは知らなかった。

 すでに国内線では使われておらず、自衛隊機として使われているだけのようだ。

 ではなぜこの本を読むことになったのか。

それは、趣味で楽しんでいるX-Planeというフライトシミュレーターの機体には、今までYS-11は無かったのだが、それをフライトシム 仲間のFlyingtak1さんが作り始めたからだ。

 後からone-one projectという名でX-Plane用機体を作ろうとした有志がいたのがわかったが、機体は公開されていない。

 Flyingtak1さんのYS-11は試作機の段階からX-Plane Japan BBSに公開されているので、その試作機を飛ばしてみた。そうしてYS-11にはそんな特徴があったのかと知るようになり、もっと調べてみたいと思うようになったのだ。

 

 『最後の国産旅客機 YS-11』の方は、YS-11が作られるようになった経緯や構想 設計段階から製造、運用までが良くわかるように書かれている。戦後初の国産旅客機なのに、なんで「最後の」という表題になっているのかは、YS-11に続く旅客機を作ることが不可能になってしまう状況があったからだ。その辺りが良く納得できるように書かれている。

 戦後、兵器生産禁止令が緩和されアメリカの軍用機をライセンス生産できるようになるが、継続的な航空機産業の育成を目指して通産省の赤沢璋一が立ち上げたプランが民間輸送機の自主開発だった。そこで、零戦、航研機、紫電改、飛燕、隼などを設計した「五人の侍」と呼ばれる戦中の設計者達が呼ばれYS-11の構想を作っていくのだ。それぞれツワモノなので、意見をまとめるのは大変だったようだ。意見が合わず喧嘩になることもあったとのことだ。

 その後、具体的な設計は東條英機の次男である東條輝雄が担当することになる。試作機ができた後、量産体制は島文雄に引き継がれる。

 YS-11は「技術的には成功したが、経営的に失敗した」と言われるようだ。量産体制に入ってからも、コスト削減がうまくいかず1機あたり1億円の赤字を出していたというのだ。

 機体の製造には何社も携わっていたが、原価補償がされていたため、各社ともコスト削減に積極的ではなかったことが原因と言える。

 しかし181機作られたYS-11は頑丈な機体であり、普通では考えられないぐらい永く活躍していたのだ。

 

 もうひとつの本は、パイロット人生の6割の飛行時間をYSー11で過ごした坂崎充パイロットの話だ。こちらは、この飛行機の特徴とその対応について実体験が書かれているので面白い。

 坂崎さんは、エアラインも務めるが、多くの飛行時間をフェリーとして働く。フェリーとは、出来た機体を納入するために飛ばしたり、購入した中古機体を運ぶ仕事だ。長距離を飛ぶ時には客席にはお客の代わりに燃料タンクを積んで飛ぶのだ。

 エアラインとフェリーを合わせて2万時間の飛行時間のうち6割にあたる1万2000時間をYS-11で飛んだのだそうだ。

 今の飛行機は、電気で油圧やモーターを作動させて補助翼を動かしている。しかし、YS-11はパイロットが直接補助翼に繋がるワイヤーを引っ張って操縦しているのだ。だから世界最大の人力飛行機と揶揄されることもある。「腕がパンパンになる」とか「足が筋肉痛になる」とYS-11を操縦する自衛隊員が言っている動画を目にしたことがあるが、坂崎さんはそのような悪口?は一つも書いていない。

 ただ、限定変更と言ってその機種の操縦を認められるには他の機体の倍の100回以上の着陸訓練をしないとならないとは書いている。

 また、地上でのステアリングや、水メタノール噴射という独特の操作については、パイロットでないと書けない内容だ。

 それ以外にも、パイロットでないと聞けないエピソードがたくさんあって面白い本である。

 

 YS-11は上昇しにくく、下降しにくい機体と言われている。Flyingtak1さんが作ったフライトシミュレーター のYS-11にもその特徴が出ている。

 特に、最初の試作機は、その特徴が出過ぎていて羽田空港のような長い滑走路でさえ、私はオーバーランしてしまったぐらいである。

 実際のYS-11は1200mの短い滑走路でも着陸できることを想定している。しかし、下降しにくい機体なので、例えば車輪を出せる速度を高めて、早めに車輪を出し、それを抵抗にするようにも考えられている。また、ジェット機なら逆噴射をしてブレーキをかけることが可能だが、YSにはそれは搭載していない。その代わり大きなプロペラの角度を変え、着陸してからは正面から見ると平たい板が風車のように回るような状態にしてそれをブレーキにするのだ。飛行中にプロペラがそのような状態になると失速して墜落するので、飛行中はプロペラの角度がそのようにならないためのレバーがスロットルレバーの横にはある。 

 YS-11の操縦席を見ると、他の飛行機には無いレバーがいくつかあるので、なんだろうと思っていたが、坂崎さんの本を読んでわかった。

 

 今回の本の紹介は、少々マニアックな内容になっているが、もしそうしたことに興味があるなら、下記ののページも参考にされると良い。

 

 https://flyingtak1.exblog.jp/29330899/

 

 https://youtu.be/7ju5anXmBUk

 

 

『海の鷲』 ゼーアドラー号の冒険

 ローウェル・トーマス著/村上啓夫訳 昭和44年 フジ出版

 実際にあった話なのに、大変で苦労することはあっても無慈悲な戦争の場面はなく、ワクワクしながら冒険活劇のように読み進むことができる本だ。

 主人公のルックナー艦長が騎士道精神に溢れた人物であったことから、ルックナー艦長とゼーアドラー号の話は、戦後も全世界で広く知られるようになったそうだ。この本の原著はアメリカ大統領やヘンリー・フォードの愛読書だったそうだ。

 この話は第一次大戦の時であるから、すでに船は汽船の時代であるが、なんと帆船を改造した軍艦で商船を襲い、通商破壊をしようというのである。

 帆船の軍艦というと、ネルソン提督が出てくる大砲をいくつも積んだ船を思い浮かべるかもしれない。しかし、ゼーアドラー号は違う。ほっそりとした快速船ではあるが、貨物船に化けて敵に近づき船を捕獲しようという仮装巡洋艦なのだ。

 相手が近代的な軍艦なら、それがたとえ小さな駆逐艦であってもゼーアドラー号には勝ち目はないだろう。

 だから、敵を欺くためにあの手のこの手を考えるのだがそれが面白い。

 敵を欺くといっても、最後まで騙す訳ではない。いよいよ捕獲する段になるとドイツ国旗を掲げ、軍服に着替えるのだ。

 読んでいて痛快なのは、それらの作戦が見事に決まり、しかも相手の人間を傷つけることなく、船の捕獲に成功するからである。

 捕虜が増えるばかりであるが、ルックナーはそれも見越して船の改造を行っていたのだ。大砲などの武器を積むだけでなく、捕虜のための広い部屋を用意していたのだ。

 船長によっては自分のボロ船よりも良い部屋で過ごすことになった人もいたようだ。

 捕虜を中立国へ開放すれば、自分の船の位置が敵側に知られてしまうことになるが、それでも中立国へ向けての船に捕虜を移すこともやっている。

 フェリックス・フォン・ルックーナーは、名前から想像がつくかもしれないが、ドイツの名門家の伯爵である。

 曽祖父はドイツで初めて騎兵隊を作った人物であり、彼は幼い頃から騎兵隊の指揮官となるべく育てられる。しかし、それに反発して13歳の時に家出をして、なんと21歳すぎて海軍士官になるまで家には戻らなかったのだ。その間、いくつもの帆船の水夫を経験し、時にはオーストラリアでプロボクサーになるための訓練をするなどという波乱万丈の放浪生活をする。それがこの本の最初では語られる。

 海軍士官となったあと、船長になるための勉強を行い船長の資格を得るが、その時に、仮装巡洋艦の艦長となる話が彼のところにくるのである。

 なぜ、主人公ルックナーは一隻の帆船の艦長を任ぜられたのだろう。実はもう、ドイツ海軍の士官の中には帆船を動かした経験のある者が一人もいなかったのだ。それで彼にその役が回ってきたのだ。

 ゼーアドラー号の艦長となって、大西洋に出て、イギリスやフランスの商船を捕まえる活躍をするためには、まず、ドイツの港からイギリスが何重にも敷いている封鎖網を突破しなければならない。

 そこで、ノルウェーの木材運搬船に化けるのだが、その念入りな作戦が面白い。

 15隻もの商船を拿捕し沈めるが、その活躍とともに、捕虜を丁重に扱い、全員を無事安全な陸へ帰していることなど騎士道的対応が連合国側からも一目置かれる存在となる。

 第一次大戦後は、アメリカによく訪れ、幾つもの州で名誉市民になったそうだ。

 第二次大戦の時、ヒットラーは彼を宣伝材料にしようと下が、その政策に反対したために銀行口座を凍結されるなどしたそうだ。しかし、ヒットラーも彼を殺すことはできなかったようだ。

 老後は好きなヨットを楽しみ、妻と世界一周をしたそうだ。

 

 この本は実話でありながら冒険小説のように読める本だ。今はなかなかこうした昔の出来事は読まれなくなっているのだろうか。古書でしか手に入らないのが残念だが、私のオススメの本である。

『北欧空戦史』

             中山雅洋 著  2007年11月発行 学研M文庫

 この本は、北欧フィンランド・スェーデン・ノルウェーの航空機による第二次世界大戦での戦い方を書いた本だ。

 その中でもフィンランドの飛行戦隊について多くのページを割いている。

この本のプロローグの文章をそのまま引用すると次のようになる。

「大国が理不尽に小国にいきなり攻め込んできたら、どうしたらいいだろうか?ポーランドのように20日にして壊滅するか、エストニアのように戦わずに全面降伏するか、それとも後年のベトナムのように、別の大国の後押しを頼みに勇戦敢闘するか。ここにそのいずれでもない小国の空戦史がある。それはフィンランドの空戦史だ。その空戦史はたくましい勇気と粘り強い闘魂の記録であり、かつ孤独な戦いの連続であった」とある。

 巻末には、この空戦の戦闘機乗り達と著者との対談が載っている。

 

 北欧の国々は第二次大戦の時、中立国として存在したかったが、大国の動きがそれを許さなかったのだ。形の上で中立を維持できたスウェーデンだが、国内をドイツ軍がノルウェー侵攻のために通るのを容認している。

 

 フィンランドの戦いは、ソ連がいきなり侵攻してきたところから始まる。

「長距離砲が発達し、レニングラードをフィンランド領から射撃可能になったので、国境を下げろ」という理不尽な要求をソ連から突きつけられる。   

 当たり前のことだが、長距離砲が発達するたびに国境を下げて行ったら、ついには全土を明け渡すことになってしまうのでその要求を蹴るが、国境でのありもしないフィンランド側からの発砲を口実にソ連は侵攻を始めてしまう。もう計画はできていたのだろう。しかし、数の上では圧倒的に少ないフィンランド軍の猛反撃に遭って4ヶ月で停戦を迎えることになる。かろうじて独立を保ったフィンランドではこの戦いは「冬戦争」と呼んでいる。

 第二次大戦初頭は、ソ連はドイツと不可侵条約を結んでおり、ポーランドにはドイツだけでなくソ連も侵攻している。その条約を突如破ってドイツはソ連へ侵攻を始め、東部戦線が開始される。その時、ソ連はフィンランドもドイツのシンパと見なしてフィンランドにも攻撃を始めたのだ。実際、フィンランドはドイツからたくさん戦闘機を買っていたのだ。

 フィンランドの戦闘機乗り達は、最初はアメリカから提供されたバッファロー戦闘機で戦っていたが、後半はメッサーシュミットを使っている。

どちらの戦闘機もフィンランドの飛行機乗りは使い熟し、エースのユーティライネンは一人で94機もソ連機を墜としている。その間、7.7mm銃弾を一発食らっただけだという。同じくエースのカタヤイネンは36機と1/2機を墜としているが、無傷ということがほとんどなく、被弾して機体が大破したりするが、なんとか飛行場まで戻ることを繰り返し、生き延びて巻末の対談へ参加している。巻末の対談は飛行機好きの私にとってはなかなか興味深い内容だ。

 

 東部戦線開始以来のフィンランド空軍の活躍にドイツのゲーリング元帥は気をよくして、「一緒にレニングラードを奪い、山分けにしないか」と言ったらしいが、フィンランドのマンネルハイム元帥はその申し出を拒否して最後までレニングラード攻撃には協力しなかったそうだ。

 もし攻撃をしていたら、戦後、フィンランドはソ連に奪われていたかもしれない。

 ノルウェーは連合国側に立ち、ドイツと戦うが占領されてしまう。王室や政府やそして空軍も他国へ亡命する。フィンランドに亡命した飛行士もいたようだが、自分たちを追い回したメッサーシュミットを目の前にしなければならないのは、気持ちの良いものではないだろう。

 スウェーデンは、中立を保ちながら、飛行機を買い集め、自国でもJ22という1000馬力エンジンでは最高速の戦闘機を作っている。様々な国から買い集めた飛行機の中には、イタリア・カブロニ社のCa313というとんでもない機体もあったようだ。戦闘で堕ちるのではなく、故障で墜落する機体があとを絶たず、そのために44人も亡くなっているという。戦後、政府の代表がこの賠償を求めにイタリアへ行くがカブロニ社はとうにつぶれていて賠償を取り損なったというエピーソードもこの本には書かれていた。

 文庫本ではあるが、私が知らなかったことばかりの中身の濃い本であった。

 

 

『砂漠の狐を狩れ』

  スティーブン・プレスフィールド 著  村上和久 訳  平成21年新潮文庫

 イギリスの長距離砂漠挺身隊の物語です。
 ドイツ軍ロンメルのアフリカ軍団を攻撃する時に、ジープとトラックによる偵察および奇襲部隊が組織されました。それが長距離砂漠挺身隊です。
 ジープ1台にトラック数台という身軽ないくつかのチームが砂漠を駆け巡り情報を集め、時には、ASA(イギリス空軍特殊部隊)とともに奇襲をかけるという作戦です。
 目標は、砂漠の狐と異名をとるロンメルです。
ロンメルは、後方の安全な場所に居て指揮を執るのではなく、常に前線に出て陣頭指揮をしていました。しかも、ひとところに居ることはなく、その神出鬼没さに、彼の居どころを突き止めることは難しかったようです。
 この本は、小説です。
しかし、実在の人物も多く登場し、その人物たちが関わった戦闘は史実通りなのだそうです。そうした中での架空の主人公の活躍は、リアルなノンフィクションのように読むことができます。
 著名な海洋小説の主人公ホーンブロワーのようです。

 主人公の人柄を読者にわかってもらうために前半部分は欠かせませんが、冒険小説のように面白いのは後半です。

 この小説が良いのは、アクションシーンだけでなく、人間性がよく描けていることです。
 仲間たちの心の絆を描くだけでなく、ドイツ兵やイタリヤ兵を敵=悪者とワンパターンに決めつけず、同じ人間として描かれています。

 

 戦争物にしては不思議と読み終わって、どこか救いがあるのです。

この本を私は、何回も読み直しました。
最初は地理的な位置関係が頭に入っていなかったのです。地図は巻頭に載っていますが、最初に読んだ時はどのような動きをしたのかわからなかったのです。

何回か読むうちに、描かれている地形が目に浮かぶようになりました。
その地形を自由に動き回る、主人公たちのジープとトラック。

読むうちに、その模型を作ってみたくなりました。
ヤフオクで手に入れました。

 3つセットで1980円で落札しました。

 『熱砂の海』という長距離砂漠挺身隊の活動を映画化したものがあることを知り、こちらも中古を手に入れました。まさに小説にも出てくるシボレーのトラックです。砂漠でタイヤが埋まってしまったときに、車に積んである道具でどのように抜け出すのかが面白かったです。

 リビアで撮影されたようですから、小説の舞台とも同じで、リビアの砂漠の様子がわかって良かったです。

 ただし、ストーリーは、小説『砂漠の狐を狩れ』の方がはるかに面白く、この小説を映画化した方が良いのではないかと思いました。映画化されたという話は聞いていませんが、ディズニーが映画化権を持っているようです。

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