久しぶりの笛吹川東沢

 笛吹川東沢の魅力は、エメラルドグリーンの水と明るい滑滝(なめだき)にある。天気の良い日に登れば、その美しさを十分味わうことができる。

 同じ甲武信岳を源とした沢は三つあり、一つは秩父に注ぎ荒川の源流となる真の沢、そしてもう一つは新潟に入れば信濃川と名を変えて日本海に注ぎ、日本一の長さを誇る千曲川の源流、そして富士川となる笛吹川である。

 真の沢は、苔むした原生林に囲まれ、昼でも薄暗い沢である。千曲川は源流部においても明るく、途中に滑の滝があるが、沢に沿った登山道を行く限り初心者にもお勧めできる沢である。

 さて笛吹川であるが、広瀬の先から西沢と東沢に分かれる。西沢は観光ルートとして開発され、手すりや階段があって安全に滝を見て回ることができる。

 東沢は、観光ルートではなく、一般的な登山道も無い。今から40年程前の1977年頃、西沢と東沢を紹介するパンフレットが作られ、それに東沢を行く私たち大学の仲間の姿が載っていたが、もしかすると東沢も観光化しようとしたのかもしれない。

 しかし、東沢は人間の手を拒む自然の強さがあり、山の神までのルートが以前に比べて手強いものになっていた。最初に私が東沢に入ったのは、西沢から尾根を越えてちょうど山の神のところに出るルートがあったのだが、そんなものは遠の昔になくなっている。

 東沢には、ぜひ紹介したい美しさがたくさんあるのだが、観光ルートにはならないと思う。それはそれで良いのだが、私のような沢登り初心者でも楽しみ続けるには、ある程度、人が道を補修するなど手を加えていく必要があるのだろう。今回も、ルートの途中に設置されたロープにだいぶ助けられた。

 2016年8月13日(土)

 私にとって東沢は20年ぶりである。今回は、ここ数年山登りに熱中しているMさんご夫妻を伴っての沢登りとなる。Mさんご夫婦は私よりも10歳以上若く、北アルプスなども歩かれているが、沢登りは初めてである。

 私は還暦を過ぎたが、学生の頃並みの登山回数になってきている。しかし、昔とは違うということを肝に命じなければならないと思う。今回もそういう失敗をしてしまった。

 東沢を経由して甲武信岳まで登ったことは、5回ほどあるが、最後に登ったのは20年前で、息子たちを連れて途中の両門の滝までであった。

 今回も余裕を持って両門の滝まで登り、帰りに水彩画を描きながらのんびり降る予定であった。

 朝3時半、まだ暗い中、千葉県柏市を出発した。途中談合坂で休憩したが、早朝からなんでこんなに車があるのかというくらい混雑していた。

 

 西沢渓谷入り口の駐車場には6時頃到着した。駐車場は広い。しかし、紅葉の頃には満車になるであろう。

 

 駐車場からは林道を歩いて行く。1㎞ほど行ったところに立派なトイレができていて驚かされた。

 駐車場から30分ぐらい歩いたところで、西沢渓谷入り口となる吊り橋に出た。吊り橋は東沢にかかっており、吊り橋の中央から上流を見るとその名の通りの形をした鶏冠山(とさかやま)が見えた。

 東沢へは吊り橋を渡り、階段を少し登り、西沢渓谷の看板があるところを観光ルートから外れて右に入る。以前は薮だったのだが、落ち葉の軽く積もった歩きやすい道になっていた。

 沢へはすぐに降りる踏み跡もあったが、私たちは行けるだけ踏み跡を行ってから沢に降りた。するとそこは鶏冠谷の出合いになっており、小さな青い表示板が鶏冠山登山ルートを示していた。

 記憶では、このあたりから東沢を高巻くルートに出るはずであった。岸の壁を注意深く見たが見つからず、仕方なく沢通しに歩いて見た。しかし、沢の先の方には私の記憶にない淵や滝が見えていて、進むのが大変そうな沢の様相であった。そこで、また鶏冠谷の出合いに戻り、今度は鶏冠山登山道とされた道を行くことにした。この道が途中で東沢への高巻き道と分かれるのではないかと思ったのである。

 道ははっきりとしているが、どんどん登って行くだけであった。こんなに高く高巻きをした覚えはないというところまで登って、おかしいと思った。このままでは本当に鶏冠山へ登ってしまうと思った。私たちは出合いまで引き返すことにした。

 高巻き道が見つからなければ、沢通しに行くことになる。しかし、それは、かなり困難なことになりそうだと思った。明治生まれの登山家、田部重治が東沢を紹介した随筆が思い起こされたのである。

 田部重治は、東沢の峻険な谷に行く手を阻まれ。大きく高巻きして再び河原に降り、”ホラの貝”と呼ばれる滝で夜を迎えているのである。もし、道が見つからなければ、今回の沢歩きは中止せざるを得ないと思った。

 しばらくは渓流歩きになりそうなので、出合いでワラジを履くことにした。今はワラジではなく、渓流用のフェルト靴が主流のようだ。しかも思ったより安く手に入るらしい。私が見た渓流用の靴は1万円ほどしたので、それならと使い慣れた地下足袋とワラジにしたのである。

 途中で出会った人は3000円ぐらいの渓流用靴を釣具屋で購入したと言っていた。

 ワラジは渓流の中では効果抜群である。安心して沢の中を歩ける。しかし、沢の出合いからワラジを履いたことは今までなかった。いつもは魚留めの滝まで登山靴で行き、それからワラジに履き替えていた。随分手前でワラジを履いてしまったのだが、それはあとで大変なこととなった。

 ワラジで足を固め、いざ沢登りへと歩き始めた。最初に引き返したところを過ぎ、岩の角を回ると、なんと右手の樹に赤いテープがあり、沢を離れて高巻いて行く道がそこにはあった。

 1時間近く無駄にしてしまった。もう少し先まで行っていればこの道を見つけることができたのだった。

 高巻く道は結局”ホラの貝”まで一度も河原に降りずに続いていた。道はだいぶ削られて細くなっており、

左側に落ちたら命が無さそうな箇所がいくつかあった。山側にロープが固定されているところもあり、それは助かった。しかし、針金については信用しないほうが良いと感じた。

 鶏冠谷の出合いからホラの貝までは40分ぐらいかかった。昔は30分ほどだったので、ペースは遅くなっていた。

”ホラの貝”は両岸の岩が狭まっているところに上流からの沢の水が勢いよく流れ込み、青い淵に吹き出しているところである。岩は丸く削られ、さながらホラ貝の口から水が吸い込まれて吐き出されるようになっているのである。ホラの貝の出口側は広い河原になっているので、河原に降りてホラの貝の中を覗いて見ようとした。しかし、青い淵の向こうに幾重にも重なった岩が見えるだけで、滝は見ることができなかった。

 ホラの貝のあたりは、昔に比べて随分と荒れていた。まず、枝沢を渡る橋が無くなっており、一旦河原に降りてから、また高巻き道へ登り返さなければならなかった。その高巻きへの道も、以前は丸太で階段が作られていたが、それも無くなっており、急で滑りそうな土の細尾根になっていた。ホラの貝も、昔は上から覗けるようになっていたが、今は安全には近寄れない感じであった。私たちはホラの貝からの急な道をかなり登り、また高巻き道へと続いた。ホラの貝から山の神までも30分ぐらいと記憶していたが、50分ぐらいかかってしまった。

 途中に倒木が道を塞いでいる箇所があり、下を潜れるところは良いのだが、大きな倒木の上を越えなければならないところは少々緊張した。倒木は谷へ斜めに突き出るようになっており、倒木の上に乗って滑ったら谷底まで行ってしまいそうだった。そもそも体の硬い私は足を倒木にあげるのが容易ではなかったのである。

 乙女滝に着いたのが9時40分。今までの倍の時間がかかってしまっていた。

 東沢が信州沢と釜の沢の分岐するところまでは、途中に1ヶ所滝を巻くところがあるだけで、あとは石ゴロゴロの河原を歩く、いわゆる”ゴーロ歩き”が長く続くという記憶があった。

 乙女滝を過ぎて、すぐに右手に現れる逆層の岩壁がそそり立つ姿はなかなかの迫力がある。実はこの景色とこの後に現れるエメラルドグリーンの水を湛える淵を描きたいと思っていたのである。しかし、遅れていることもあり、絵を描くのは余裕を持って帰りにしようと思った。

 河原のゴーロ歩きは、慣れないと時間がかかるものである。慣れていると、アップダウンの少ないように石を選んでポンポンと歩いて行ける。沢登りが初めてのMさんご夫妻は、ご主人はすぐに沢歩きに慣れてしまわれたが、奥さんの方は慎重な足運びになり、時間がかかりがちとなった。私にしてみると息の上がらないペースなので楽で良かったのだが、だんだん予定時間に着くのが心配になってきた。予定では両門の滝までお昼前に到着するつもりでいた。

 東の滑(ナメ)のあたりに、水をゆったり湛えた淵がある。綺麗な水で泳ぎたくなるような淵であり、左岸は明るく緩やかな斜面が淵に沿って長く続いており、右岸は木が覆いかぶさった大きな岩がある。

 私は、淵の左岸の緩やかな斜面をスタスタと先に渡ってしまった。

 次にMさん奥さんが斜面に踏み出したのだが、途中で慎重になって体が斜面よりになってしまったのだろう。足が滑ってあっという間に淵に滑り落ちてしまい、胸まで水に浸かってしまった。なんとか引き返し、右岸の大岩を巻くルートを通って進むことができたが「岸へは滑ってなかなか這い上がれなかった」と言っていた。こうした淵はもう一ヶ所あり、そこは最初から立木のところまで高巻いてクリアした。

 沢は高巻くとかえって危険なこともある。また、渡る時も、水の中の石の方がかえって足場をしっかり取れることもある。それは慣れや経験からわかることなのだが、Mさんご夫妻にはそれを体得しながらなので時間がかかるのも無理はない。

 魚留滝は信州谷との分岐からは見えない。下手をするとそのまま信州谷の方へ進んでしまいそうであるが、分岐点の岩に「釜の沢」と赤ペンキで矢印が書いてある。だいぶ色が薄くなっているが、それを見落とさなければ良い。

 魚留滝についたのは11時半頃であった。お昼前に両門の滝に到着するのは無理となった。ここからが東沢の一番良いところであった。

 私の記憶では、ここから1時間ほどで両門の滝であった。

 魚留滝は、すべすべの一枚岩の滝であり、滝の直登は無理である。滝の左側を滝の落ち口へ向けて巻くのがルートである。昔は、丸太に刻みを入れたハシゴがかけられていたが、それは20年前に来た時にはすでになかった。

 今回念のために、長さ10mほどの9mmザイルをと安全ベルトを持って来ていた。全員安全ベルトを装着し、先に運動神経の優れたMさんご主人に登ってもらった。Mさん奥さんは、ご主人がザイルで確保して上がり、私もザイルをたぐって楽に登ることができた。

 魚留滝の上は、右に直角に折れて、緩やかな滑滝があり、さらにその先で左に直角に折れて千畳の滑というという100mほど続く緩やかな滑の滝がある。広葉樹の葉を通した柔らかな日差しが滑の川床を照らし、魚留滝から千畳の滑までは東沢の一番美しいところだと私は思う。千畳の滑の最後には3段6m程の滝があり、通常は左側を高巻きする。昔、息子たちを連れて来た時は、ここで滑り台のように滑って遊んだことがあった。

 この滝の手前で昼食をとっているご夫婦がおり、両門の滝まで行かずに、これから引き返すとのことだった。

 確かにここから先は、両門の滝以外は見所はなく、単調な沢歩きだった記憶がある。しかし、ここまで来て両門の滝を見ないというのももったいない気がして、「行きましょう」とMさんご夫妻に声をかけた。

 Mさん奥さんが「今来た分、戻るのですよね」と言ったのは、かなり大変だと思っている気持ちの表れだとは思ったが、励まして行くことにした。

 途中に右横を高巻きする比較的大きな滝が一ヶ所あるが、そこを降りて来た人に「両門の滝までもう少しですよね」と聞いたが「20分ぐらいではないですか」と言われ、あと少しではないなと思った。

 結局午後1時に両門の滝へ到着した。最初の道迷いがなければ、お昼に着いていたことになり、まだ焦る気持ちはなかった。

 記念撮影をしたあと、お昼を作って食べた。あとから到着した人も含めて両門の滝には10人くらいの沢登りの人が集まっていた。

 見ていると、両門の滝の西俣へ行く人もいた。私は東俣からしか甲武信岳へは言ったことがなかった。中には、これから甲武信岳まで登り、その日のうちに降りてくるという強者もいた。

 昼食を食べ終わって、ゆったりとコーヒーを飲み、Mさんご夫婦は両門の滝のスケッチを始めたので、私も水彩の道具をだし、両門の滝の東俣を水彩で描いた。そんなことをしていて、時計は2時を回ってしまった。出発したのは2時半ごろとなった。ちょっとのんびりし過ぎたようだ。

 帰りは早く降りられるだろうと思ったが、私のワラジは両門の滝の手前で、片方が完全にちぎれてしまっていた。そのため、右足は地下足袋に壊れたワラジのワラを巻きつけた状態で歩くことにした。これはとても滑りやすく、行きは楽に行けた千畳の滑だが、水の中は滑って歩けず、岸を歩くことになってしまった。

 そして、魚留滝の上で登山靴に履き替えた。登山靴は乾いた岩の上では楽勝で、ゴム底の地下足袋よりも滑りにくかった。こんなことなら、両門の滝から登山靴に履き替えておけばよかったと思った。

 かなりペースを上げて降りてきたはずだが、千畳の滑のところで3時半なので、行きよりも10分早いだけであった。魚留滝は、ザイルを持ってきていて良かった。木を支点にしてザイルを握り簡単に降りることができた。

 ここから長いゴーロ歩きであるが、Mさん奥さんも途中でワラジが分解してしまい、登山靴に履き替えることとなった。

 Mさんご主人のワラジは健在で、私と奥さんが少しでも河原からの巻き道があるとそれを選ぶのに対し、ご主人は沢通しで歩かれていた。行きよりもかな河原歩きが上達されていた。

 だいぶ日が陰ってきたせいだろう。私とMさん奥さんは一度、赤い木ノ実を目印の赤いテープと勘違いして踏み跡に入り、沢に戻るのに苦労してしまった箇所があった。

 最初の計画のように降る途中で絵を描くなどという余裕はもう全くなかった。西の滑、東の滑と過ぎるあたりまでは比較的明るさがあったが、乙女滝のところでキャンプをしている人たちのランプが目立つくらい、その頃には周りが暗くなっていた。沢でテントを張っている人たちを何組も見かけたが、私たちと同じようにこれから山を降りる人はもう誰もいなかった。

 山の神で、午後6時頃となり、山の神からは明るい河原から離れて暗い林の中なので、余計に暗く感じた。山の神からの高巻き道は、道が崩れていてロープに頼って登るところもあり、その大変さに「こんなところあったっけ」と声が出てしまうこともあった。

 ようやく鶏冠谷の出合いに着くことができた。もう7時近かった。出合いのところにテントを張っている人がおり、ランプの明るさがもう夜であることを伝えていた。

 最後の渡渉をし、朝降りてきた踏み跡を見つけてたどって行った。途中、ロープで木の根元をよじ登るところがあり、こんなところ来る時にあったかなと思った。そこを過ぎたところで、私は道を見失ってしまった。もう、あたりは真っ暗であった。

 こんなに遅くなるとは思っておらず、誰もヘッドランプを持ってきていなかった。スマホを懐中電灯がわりにできるのだが、スマホを取り出す心の余裕もその時はなかった。もしスマホで照らしてもおそらくそこらじゅう踏み跡に見えて道はわからなかったと思う。

 木の根元をよじ登ったあと上に行ってしまったが、本当の道は木の根元から向こう側へ降りて行くようだ。また、秋に私一人で来た時に気づいたことだが、鶏冠谷出合いで巻き道に上がるのではなく、ぎりぎりまで河原を歩き、砂防堤防に近づいてから河原から上がるのが正解であった。

 私は、この場所が東沢の入口まで200mぐらいであることを知っていたので、とにかく斜面を水平に移動することにした。落ち葉が堆積した滑りやすい斜面であったが、片手を山側につきながら、できるだけ水平に移動して行った。Mさんご夫婦はかなり不安だったと思う。

 そうしてしばらく行くと、前方ななめ下の方に平らな場所が見えてきたので、そこを目指して斜面を降りて行くと、そこが朝、来た時に通った道であった。道はその先に広がってはっきりしなくなったが、もう心配はしていなかった。しばらく行くと、前方の暗闇に長方形のシルエットが浮かび、近くとそれが朝見た西沢渓谷の看板であった時は本当にホッとした。

 ここから駐車場まで30分ぐらいだったが、スマホの懐中電灯アプリで道を照らしながら歩いた。空には月が出ていた。駐車場に着いたのは夜7時40分であった。

 帰りの中央高速はなんと25km渋滞という中に巻き込まれたが、無事山を降りることができたということで、あとは時間がかかろうが安全に帰ることができればそれで良いという気持ちに3人ともなっていた。

 山から帰ってMさんご夫妻には本当に申し訳ないことをしたと私は思った。せっかくの初めての沢登りで嫌な思いにさせてしまったと思ったのである。しかし、後日、Mさんご主人から「また東沢へ行きましょう」と言われた時には嬉しく思った。

 

 白山書房の「山の本」夏100号に、この時の「久しぶりの東沢」が掲載されていますが、私自身を見つめ直し、内容を短縮した記事にしてあります。