美ヶ原を描く

美ヶ原 油彩 P50号 2012年に描き始め 2016年8月に仕上げる

 美ヶ原を最初に訪れたのは、1990年頃であったが、その時は高原美術館までしか行かなかった。そもそもあまり下調べをして行かなかったので、丘の上の美ヶ原の広がりの存在すら知らなかった。

 高原美術館から眺めると、向こうの丘の上を人が行く姿が見え、あそこはどうなっているのだろうと思ったが、家族でキャンプを予定していたので、それ以上美ヶ原には留まらなかったのである。

 美しの塔のある美ヶ原を訪ねたのは、2012年の夏であった。家内と山本小屋に泊まり、マイクロバスで王ヶ頭まで上がり、王ヶ鼻まで行って眺めを楽しんだ。

 美ヶ原は2000mほどの標高になだらかな牧草地が広がり、その中を柵に区切られた道が続いている。車はふるさと館の駐車場に停めるが、山本小屋の宿泊者は小屋の前まで入ることができる。

 山本小屋からは、牧場の中の遊歩道が伸びており、途中に美しの塔がある。美ヶ原は濃霧に包まれることがあり、遭難が多発したことから霧鐘を備えた避難塔として作られたとのことであった。

 アンテナの塔をたくさん建てた小山が牧草地の向こうに見えているが、そこが王ヶ頭である。

 私は、遊歩道の分岐を王ヶ頭へは行かず、そのまま茶臼山方面へ歩いて行き、水たまりがあるところで振り返った。そこには、牧場の中の道が緩やかに空へと続いて行くような景色があったのである。

 その時に描いた水彩を元に家で50号のキャンバスへ油絵を描いてみた。

 しかし、水溜りの感じと道の起伏の感じをもう一度現場へ行って確かめたいと思っており、2016年の8月に再び、美ヶ原を訪れた。この時は、50号のキャンバスを抱えてである。

 8月21日の早朝に出発し、7時過ぎには、美ヶ原に着いていた。一抱えあるキャンバスを持ち、イーゼルを肩にかけ、絵の具やパレットを入れたザックを背負って4年前の場所へと歩いた。

 空は青く、雲は白く沸き立っていた。違っていたのは、4年前に描いた時は午後であり、今回は朝であった。日差しの方向が違うのである。水溜りの形も違い、カラマツも少し背を伸ばしていたが、幸い雰囲気は大きく変わらなかった。天気の感じが同じだったからだろう。

 そこで陰影の方向は頭の中で変換しながら描くことにした。

 道の起伏や水溜りの岸辺の感じを実際に見て描くことができたのは良かった。

 絵を描いていると、いろいろな人が通りかかる。多くはちらっと見て行くだけだが、おそらく関西の方々だと思うが、団体でやってきて「それ売れるやろ」「豪邸建つんとちゃうか」と後ろの方で言っている。ツッコミに応えなければいけないのだろうが、関東人の悲しさ、何も言えなかった。

 10時頃まで描いてその場を後にした。茶臼山へと続く牧場の中のトレイルには気持ち良さそうに歩く人が見える。トレイルへは遊歩道から牛が通れいないジグザグの柵を通って牧場へ入るようになっている。今度来た時は、このトレイル道を行ってみたいと思った。