2022年バックアップ

『土を喰らう日々』 水上 勉 著

昭和57年 新潮社発行 令和3年第30刷

 水上勉さんの本は、これまで読んだことが無かったが、私は、家内が読みかけていたこの本を横取りして一気に読んでしまった。

 そして、前のページに戻って読み直したりした。

 この本は、軽井沢で水上さんが執筆活動の傍、四季を通じて味わう精進料理を紹介した本だ。

 

 水上さんは、少年時代に禅寺で小僧として過ごしたそうだ。特に16歳から18歳まで

老師様のお世話を行ったことが精進料理に精通することになったようだ。

「何もない台所から絞り出すことが精進だといったが、これはつまり、いまのように店頭へゆけば何もかも揃う時代とちがって畑と相談しながらきめられるものだった。ぼくが精進料理とは土を喰らうものだと思ったのは、そのせいである」と書いているが、季節によって変化する自然との関わりを大事にした食の魅力をこの本は伝えている。

 

 説教くさくなく、そうした食が禅の教えに基づいていることもさりげなく語られているのが良い。

五月の筍の肥やしの話、六月の梅にある大正十三年の梅のエピソード、八月の豆腐に出て来る『豆腐百珍』などにも紹介される様々な豆腐料理が興味深い。

12月に出て来るカチ栗の食し方も試してみたくなる。

 

 沢田研二さん主演で映画が上映されているが、私は観ていない。映画紹介を読むと、この本の内容とは少し違う感じがする。

 映画を先に見た人も、この本を読んで欲しいと思う。

 

 この本をきっかけに、水上勉さんの『一休』や『雁の寺』も読んだが、そちらの方は、私の好みには合わなかった。

サン=テグジュペリの本


 サン=テグジュペリと言えば、たいていの人は、『星の王子様』の作者と答えるでしょう。『夜間飛行』という本を知っている人も多いかもしれません。さらに、『南方郵便機』(これは文庫本の『夜間飛行』に併録されている)と『人間の土地』まで読んだ人は、『星の王子様』の愛読者というよりもサン=テグジュペリの愛読者と言って良いのではないでしょうか。

 さらにさらに、『戦う飛行士』や遺作となっている『城砦』や書簡集まで読まれた方は、かなりお詳しい方なのでしょう。

 かく言う私は、少し前まで、『夜間飛行』までしか読んだことはなかったのです。

それでも、箱根にある「星の王子さまミュージアム」には行ったことがありますし、『星の王子様』をイメージした関越道上りの寄居PA(星の王子様のイメージ店は2021年3月に終了し、セブイレブンに改修)には何度も行っており、象がウワバミに飲み込まれているキーホルダーを買って、なんとなくサン=テグジュペリのファンになっていたのです。

 

 それが、朗読『夜間飛行』を作ったのをきっかけに、サン=テグジュペリの著作をもう少し読むようになったのです。

 動画を見て、『夜間飛行』の主人公がパイロットだと思ってはいけません。この朗読動画には出て来ませんが、支配人のリヴィエールが主人公なのです。したがって『夜間飛行』のテーマも、この動画から感じられるものとは違い、支配人の厳しい判断と強い意志を持って任務を遂行する姿にあります。

 『夜間飛行』の翻訳は、明治生まれのフランス文学者で詩人の堀口大學です。さすが格調高い文章です。しかし、今はあまり使われない語彙が出てきます。朗読の映像化をした時、そうした語彙は、発音だけではわからないので字幕を入れました。

 今回、『戦う操縦士』は鈴木雅生さんの翻訳のものにしました。スロットルレバーが絞瓣槓桿と訳されるよりは良いと思ったのです。

 すでに『人間の土地』をお読みになった人は、もし『戦う操縦士』を読んでいなければ、読まれることをお勧めします。この本が、サン=テグジュペリの考えを集約していると私には思われるのです。

 この本の1年後に『星の王子様』が出版され、その1年後に彼は偵察機とともに行方不明になっているのです。(2003年にマルセイユ沖に沈む機体の残骸がサン=テグジュペリ搭乗のものであることが確認されました)

 


『南方郵便機』

 サン=テグジュペリの処女作です。彼がフランスと北アフリカ間の郵便機を操縦していた時のことが体験になって書かれていますが、虚構を構築し小説らしい形式にしようとしています。

 この作品以降彼は、自分が体験したり、思考したことのみを作品にしようとします。そのため、当時の小説の概念から外れた作品になり、それらが小説であるかの議論もあったようです。

『夜間飛行』

 新潮文庫の『夜間飛行』の最初に掲載されていますが、『南方郵便機』の後に書かれています。

南米での郵便機の会社が舞台になっています。そこの支配人リヴィエールが主人公なのです。この主人公にはモデルがいます。サン=テグジュペリがフランスと北アフリカ間の郵便事業を行うラテコエール社に入社した時の主任、テディエ・ドーラです。そそっかしい面のあるサン=テグジュペリはかなり厳しくドーラから指導されたようです。

 リヴィエールが整備士や飛行士へ厳密に規則を守るよう要求するのは飛行士の命を守るためであり、強い意志と冷徹とも映る姿は会社を守るためなのですが、そうした自分の責任を全うする姿がこの作品のテーマとなっています。

 私が朗読映像化に描いた部分は、嵐の中に垣間見た幻想的な光景ですが、それは、サン=テグジュペリが飛行士として経験したことなのでしょう。

『人間の土地』

 この作品は、組曲のように、いくつかのエピソードや、彼の思考の記述が組み合わされて作られています。

 彼は自分でシムーン機という飛行機を購入してフランスとサイゴン間の長距離飛行記録更新に挑戦します。かなりの賞金がかかったものだったようです。

 しかし、途中のサハラ砂漠で不時着してしまいます。夜間と雲のために位置を見失い、さらに現地の気圧がよくわかっていなかったために、高度を正確に把握することができず、砂の小山に激突したのです。機体は、小山に対して接線を描くようにぶつかったことと、火災を起こさなかったことから、機体はバラバラになったものの、身体はほとんど無傷だったのです。砂漠の中で3日間飲まず食わずでしたが、通りかかった遊牧民に助けられ奇跡的に生還することができました。

 そして、飛行記録更新が出来ないなら遭難記録を書くように言われてカイロのホテルに缶詰になって書かれたのが『人間の土地』の中にある「砂漠のまん中で」です。

 その時に考えたことや、体験したことが、『星の王子様』に生かされているのです。

 実は、サハラでの事故の後も、あたらにシムーン機を借金して購入し、今度はニューヨークと南米間の飛行記録を立てようと挑戦します。

 しかし、途中のグアテマラの飛行場で離陸に失敗し、今度は全身あちらこちらを骨折する大怪我をします。グアテマラの飛行場が1500mの高度にあったにも関わらず、燃料を満タンにしたことが原因だったようです。高度が高くなると気圧が低くなり、飛行機の揚力が減るので、積載量を減らさなければならないのです。どうやらこうした迂闊さがサン=テグジュペリからは抜けないようです。

 その療養中にこれまでの原稿をまとめ、組み合わせを考え、推敲を重ねて出版されたのが、この本です。

 

 上空の飛行機からや、何もない砂漠で見たり考えた世の中は、権力欲や金銭欲など無意味な世界に見えたのでしょう。それらは、星の王子様の各星の姿に反映されています。

 彼は、エゴイズムに満ちた個人主義よりも、人と人との繋がりを大切にし、その《人間》に自己犠牲を払うこともよしとしています。しかしそれはその頃台頭していたナチスのような全体主義とは違うのです。面白いエピソードがあります。(稲垣直樹さんの著書より)

 サン=テグジュペリがナチスの幹部養成学校を見学した時のことです。色々校舎を見学したのち、図書館を見せてもらいます。係官は、「ここにはありとあらゆる書物を収蔵しています。」と自慢します。

そこでサン=テグジュペリは次のように言います。

「ということは、例えば、マルクスの本なんかもあるのでしょうね?」

「ありますとも!全著作が揃っています。」

「ここのナチス幹部候補生たちはマルクスの本も自由に読めるのですか?」

「ええ、自由に読ませています。」

「で、マルクスを読んで幹部候補生たちが、国家社会主義(ナチスの標榜する政治理念)を否定する論述を見つけたら、どうなります。」

「そうした論述には、われわれ党の側からすぐさま反駁が加えられます。」

「その反駁に学生たちが反駁したら?」

「そうした反駁に反駁が加えられるなどということは、ここでは絶対にありません。」

「それは、大した統率力ですね。」

サン=テグジュペリは皮肉のつもりで言うと、突然、係官は背筋をぴんと伸ばし、ポンと音を立てて靴の踵を揃えると叫んだ。

「ハイル・ヒットラー」

 やれやれ、これは救いようがないと、サン=テグジュペリはひとり言を言った。

 

 新潮文庫の表紙は、宮崎駿さんの絵です。訳者あとがきの後ろに宮崎駿さんの「空のいけにえ」と題する文章が載っています。これは、宮崎駿ファンとしては読んでおきたいものです。『紅の豚』に通ずるものがあります。

 

『戦う操縦士』

 この作品は、彼が偵察機(ブロック174型機)を操縦して、最前線の街アラスへの偵察飛行をする姿が柱になっています。そこへ、違う時間や場所でのエピソードや彼の思考が挿入されるのです。  

 そもそも始まりからして彼が15歳の時に教室で数学の問題を解く場面になります。

 アラスの街の直前、凄まじい対空砲火の最中にも病床の弟のことが挿入されます。そこでは、弟の死に際して、「肉体が崩れ去ると、本当に大切なものがあらわれてくる。人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ。」と彼は言っています。

 

 偵察機における描写は、いくつかの実体験が組みあわされているようです。というのは、この作品では、アラスへ高高度で向かい、その後高度を下げて偵察を行なっています。高高度でスロットルやラダーペダルが凍結する様子が描かれていますが、それは別の時の体験なのでしょう。実際には、戦闘機の護衛の元、低空でアラスへ進入しているのです。

 また、この偵察飛行がいかに無意味なことであるか強調される文章になっていますが、実際には、敵の戦車部隊が集結している様子などを報告でき、戦功十字勲章を授かっています。

 一見無意味なことでも自分の責任を全うしようとする姿を描くために、そうした強調がなされているのでしょう。

 25章にある文章を少し引用します。

 私はつぶやく。「アラスの対空砲火のおかげだ・・・」あの砲火が殻を破ってくれたのだ。今日一日、私は自分のなかに住まいを準備していたらしい。いままでの私は、不平ばかりの管理人にすぎなかった。それこそ例の個人というやつだ。けれども《人間》が姿をあらわした。それがいとも自然に、私の代わりに住みついたのだ。《人間》は雑多な群衆を眺めた。そしてその群衆のなかに国民というものを見た。自分の国民を。《人間》、それが国民と私の共通の尺度だ。だからなのだ、隊へと駆け戻りながら、大きな火のもとへ向かっているような気がしていたのは。《人間》がー 戦友たちの共通の尺度である《人間》が、私の目を通してながめていたのだ。

 この25章から27章は、彼の思索だけのページです。

 このように、この本は、サン=テグジュペリの思想に触れるにはぜひ必要な本なのです。 



 遺作となる『城砦』を除けば、『星の王子様』が彼の最後の著作なのでしょう。彼のデッサン集が出版されていますが、それを見ると膨大な量のスケッチがあることがわかります。その中に、星の王子様の主人公の少年も描かれているのです。彼は食事の時、レストランのナプキンなどにもこうした絵を描いていたようです。それを見て当時の出版社の取締役カーティス・ヒッチコックがこの少年を主人公にして童話を書くことを勧めたのです。

 この本の解説はあまり深く書きません。ただ言えることは、この本を理解するには、『人間の土地』と『戦う操縦士』は読んでおいたほうが良いということです。


 今回、この図書紹介を書くにあたって参考にしたのは、稲垣直樹氏の『サン=テグジュペリ』(清水書院 Centyury Books 人と思想109 2015年新装版)です。新書判の本ですが、よくまとまっていてこの本1冊で、サン=テグジュペリについての理解を深めることができました。

 私は、さらに、みすず書房のサン=テグジュペリコレクション 2001年発行の戦時の記録1〜3を図書館から借りて読みました。『星の王子様』の扉に「子どもだったころのレオン・ウェルトに」と献辞が書かれていますが。そのレオン・ウェルトとの手紙が2には収められています。

 3には、彼がアメリカの戦闘機P-38で偵察に行って、帰らぬ人となった時の目撃情報や、関連書簡などが載っています。ただ、この本が発行された2001年では彼の機体らしき残骸は発見されたものの確証は得られていませんでした。その後、2003年に引き上げられたターボチャージャーの外板に刻まれたロッキード社の記帳番号により、彼の死が確定したのです。

 2008年に、メッサーシュミットのパイロットだった、ホルスト・リッパートがサン=テグジュペリの偵察機を撃墜したと証言を公開し、さらに「もしサン=テグジュペリだと知っていたら、絶対に撃たなかった。サン=テグジュペリは好きな作家の一人だった」と悔やんだ。とwikipediaにはありました。

 しかし、発見された機体には銃弾の跡は見つからず、まだ謎は残されているとのことです。

 

 紹介が長くなりました。こんなに読んでいられないという方で、『星の王子様』以外まだ読んだことがない方は、新潮文庫の『人間の土地』を購入するか、図書館で借りるかしてください。そして、一番後にある、宮崎駿さんの『空のいけにえ』を先に読み、それから『人間の土地』の後半にある「砂漠のまん中で」を読んでください。それで興味を持たれた方は、他へ読み進めば良いと思います。

 


YS-11に関する2冊の本


 YS-11が戦後初の国産旅客機であることと、それがターボプロップというジェット機とプロペラ機に間のようなエンジンであることぐらいは知っていたが、それ以上のことは知らなかった。

 すでに国内線では使われておらず、自衛隊機として使われているだけのようだ。

 ではなぜこの本を読むことになったのか。

それは、趣味で楽しんでいるX-Planeというフライトシミュレーターの機体には、今までYS-11は無かったのだが、それをフライトシム 仲間のFlyingtak1さんが作り始めたからだ。

 後からone-one projectという名でX-Plane用機体を作ろうとした有志がいたのがわかったが、機体は公開されていない。

 Flyingtak1さんのYS-11は試作機の段階からX-Plane Japan BBSに公開されているので、その試作機を飛ばしてみた。そうしてYS-11にはそんな特徴があったのかと知るようになり、もっと調べてみたいと思うようになったのだ。

 

 『最後の国産旅客機 YS-11』の方は、YS-11が作られるようになった経緯や構想 設計段階から製造、運用までが良くわかるように書かれている。戦後初の国産旅客機なのに、なんで「最後の」という表題になっているのかは、YS-11に続く旅客機を作ることが不可能になってしまう状況があったからだ。その辺りが良く納得できるように書かれている。

 戦後、兵器生産禁止令が緩和されアメリカの軍用機をライセンス生産できるようになるが、継続的な航空機産業の育成を目指して通産省の赤沢璋一が立ち上げたプランが民間輸送機の自主開発だった。そこで、零戦、航研機、紫電改、飛燕、隼などを設計した「五人の侍」と呼ばれる戦中の設計者達が呼ばれYS-11の構想を作っていくのだ。それぞれツワモノなので、意見をまとめるのは大変だったようだ。意見が合わず喧嘩になることもあったとのことだ。

 その後、具体的な設計は東條英機の次男である東條輝雄が担当することになる。試作機ができた後、量産体制は島文雄に引き継がれる。

 YS-11は「技術的には成功したが、経営的に失敗した」と言われるようだ。量産体制に入ってからも、コスト削減がうまくいかず1機あたり1億円の赤字を出していたというのだ。

 機体の製造には何社も携わっていたが、原価補償がされていたため、各社ともコスト削減に積極的ではなかったことが原因と言える。

 しかし181機作られたYS-11は頑丈な機体であり、普通では考えられないぐらい永く活躍していたのだ。

 

 もうひとつの本は、パイロット人生の6割の飛行時間をYSー11で過ごした坂崎充パイロットの話だ。こちらは、この飛行機の特徴とその対応について実体験が書かれているので面白い。

 坂崎さんは、エアラインも務めるが、多くの飛行時間をフェリーとして働く。フェリーとは、出来た機体を納入するために飛ばしたり、購入した中古機体を運ぶ仕事だ。長距離を飛ぶ時には客席にはお客の代わりに燃料タンクを積んで飛ぶのだ。

 エアラインとフェリーを合わせて2万時間の飛行時間のうち6割にあたる1万2000時間をYS-11で飛んだのだそうだ。

 今の飛行機は、電気で油圧やモーターを作動させて補助翼を動かしている。しかし、YS-11はパイロットが直接補助翼に繋がるワイヤーを引っ張って操縦しているのだ。だから世界最大の人力飛行機と揶揄されることもある。「腕がパンパンになる」とか「足が筋肉痛になる」とYS-11を操縦する自衛隊員が言っている動画を目にしたことがあるが、坂崎さんはそのような悪口?は一つも書いていない。

 ただ、限定変更と言ってその機種の操縦を認められるには他の機体の倍の100回以上の着陸訓練をしないとならないとは書いている。

 また、地上でのステアリングや、水メタノール噴射という独特の操作については、パイロットでないと書けない内容だ。

 それ以外にも、パイロットでないと聞けないエピソードがたくさんあって面白い本である。

 

 YS-11は上昇しにくく、下降しにくい機体と言われている。Flyingtak1さんが作ったフライトシミュレーター のYS-11にもその特徴が出ている。

 特に、最初の試作機は、その特徴が出過ぎていて羽田空港のような長い滑走路でさえ、私はオーバーランしてしまったぐらいである。

 実際のYS-11は1200mの短い滑走路でも着陸できることを想定している。しかし、下降しにくい機体なので、例えば車輪を出せる速度を高めて、早めに車輪を出し、それを抵抗にするようにも考えられている。また、ジェット機なら逆噴射をしてブレーキをかけることが可能だが、YSにはそれは搭載していない。その代わり大きなプロペラの角度を変え、着陸してからは正面から見ると平たい板が風車のように回るような状態にしてそれをブレーキにするのだ。飛行中にプロペラがそのような状態になると失速して墜落するので、飛行中はプロペラの角度がそのようにならないためのレバーがスロットルレバーの横にはある。 

 YS-11の操縦席を見ると、他の飛行機には無いレバーがいくつかあるので、なんだろうと思っていたが、坂崎さんの本を読んでわかった。

 

 今回の本の紹介は、少々マニアックな内容になっているが、もしそうしたことに興味があるなら、下記ののページも参考にされると良い。

 

 https://flyingtak1.exblog.jp/29330899/

 

 https://youtu.be/7ju5anXmBUk

 

 

『海の鷲』 ゼーアドラー号の冒険

 ローウェル・トーマス著/村上啓夫訳 昭和44年 フジ出版

 実際にあった話なのに、大変で苦労することはあっても無慈悲な戦争の場面はなく、ワクワクしながら冒険活劇のように読み進むことができる本だ。

 主人公のルックナー艦長が騎士道精神に溢れた人物であったことから、ルックナー艦長とゼーアドラー号の話は、戦後も全世界で広く知られるようになったそうだ。この本の原著はアメリカ大統領やヘンリー・フォードの愛読書だったそうだ。

 この話は第一次大戦の時であるから、すでに船は汽船の時代であるが、なんと帆船を改造した軍艦で商船を襲い、通商破壊をしようというのである。

 帆船の軍艦というと、ネルソン提督が出てくる大砲をいくつも積んだ船を思い浮かべるかもしれない。しかし、ゼーアドラー号は違う。ほっそりとした快速船ではあるが、貨物船に化けて敵に近づき船を捕獲しようという仮装巡洋艦なのだ。

 相手が近代的な軍艦なら、それがたとえ小さな駆逐艦であってもゼーアドラー号には勝ち目はないだろう。

 だから、敵を欺くためにあの手のこの手を考えるのだがそれが面白い。

 敵を欺くといっても、最後まで騙す訳ではない。いよいよ捕獲する段になるとドイツ国旗を掲げ、軍服に着替えるのだ。

 読んでいて痛快なのは、それらの作戦が見事に決まり、しかも相手の人間を傷つけることなく、船の捕獲に成功するからである。

 捕虜が増えるばかりであるが、ルックナーはそれも見越して船の改造を行っていたのだ。大砲などの武器を積むだけでなく、捕虜のための広い部屋を用意していたのだ。

 船長によっては自分のボロ船よりも良い部屋で過ごすことになった人もいたようだ。

 捕虜を中立国へ開放すれば、自分の船の位置が敵側に知られてしまうことになるが、それでも中立国へ向けての船に捕虜を移すこともやっている。

 フェリックス・フォン・ルックーナーは、名前から想像がつくかもしれないが、ドイツの名門家の伯爵である。

 曽祖父はドイツで初めて騎兵隊を作った人物であり、彼は幼い頃から騎兵隊の指揮官となるべく育てられる。しかし、それに反発して13歳の時に家出をして、なんと21歳すぎて海軍士官になるまで家には戻らなかったのだ。その間、いくつもの帆船の水夫を経験し、時にはオーストラリアでプロボクサーになるための訓練をするなどという波乱万丈の放浪生活をする。それがこの本の最初では語られる。

 海軍士官となったあと、船長になるための勉強を行い船長の資格を得るが、その時に、仮装巡洋艦の艦長となる話が彼のところにくるのである。

 なぜ、主人公ルックナーは一隻の帆船の艦長を任ぜられたのだろう。実はもう、ドイツ海軍の士官の中には帆船を動かした経験のある者が一人もいなかったのだ。それで彼にその役が回ってきたのだ。

 ゼーアドラー号の艦長となって、大西洋に出て、イギリスやフランスの商船を捕まえる活躍をするためには、まず、ドイツの港からイギリスが何重にも敷いている封鎖網を突破しなければならない。

 そこで、ノルウェーの木材運搬船に化けるのだが、その念入りな作戦が面白い。

 15隻もの商船を拿捕し沈めるが、その活躍とともに、捕虜を丁重に扱い、全員を無事安全な陸へ帰していることなど騎士道的対応が連合国側からも一目置かれる存在となる。

 第一次大戦後は、アメリカによく訪れ、幾つもの州で名誉市民になったそうだ。

 第二次大戦の時、ヒットラーは彼を宣伝材料にしようと下が、その政策に反対したために銀行口座を凍結されるなどしたそうだ。しかし、ヒットラーも彼を殺すことはできなかったようだ。

 老後は好きなヨットを楽しみ、妻と世界一周をしたそうだ。

 

 この本は実話でありながら冒険小説のように読める本だ。今はなかなかこうした昔の出来事は読まれなくなっているのだろうか。古書でしか手に入らないのが残念だが、私のオススメの本である。

『北欧空戦史』

             中山雅洋 著  2007年11月発行 学研M文庫

 この本は、北欧フィンランド・スェーデン・ノルウェーの航空機による第二次世界大戦での戦い方を書いた本だ。

 その中でもフィンランドの飛行戦隊について多くのページを割いている。

この本のプロローグの文章をそのまま引用すると次のようになる。

「大国が理不尽に小国にいきなり攻め込んできたら、どうしたらいいだろうか?ポーランドのように20日にして壊滅するか、エストニアのように戦わずに全面降伏するか、それとも後年のベトナムのように、別の大国の後押しを頼みに勇戦敢闘するか。ここにそのいずれでもない小国の空戦史がある。それはフィンランドの空戦史だ。その空戦史はたくましい勇気と粘り強い闘魂の記録であり、かつ孤独な戦いの連続であった」とある。

 巻末には、この空戦の戦闘機乗り達と著者との対談が載っている。

 

 北欧の国々は第二次大戦の時、中立国として存在したかったが、大国の動きがそれを許さなかったのだ。形の上で中立を維持できたスウェーデンだが、国内をドイツ軍がノルウェー侵攻のために通るのを容認している。

 

 フィンランドの戦いは、ソ連がいきなり侵攻してきたところから始まる。

「長距離砲が発達し、レニングラードをフィンランド領から射撃可能になったので、国境を下げろ」という理不尽な要求をソ連から突きつけられる。   

 当たり前のことだが、長距離砲が発達するたびに国境を下げて行ったら、ついには全土を明け渡すことになってしまうのでその要求を蹴るが、国境でのありもしないフィンランド側からの発砲を口実にソ連は侵攻を始めてしまう。もう計画はできていたのだろう。しかし、数の上では圧倒的に少ないフィンランド軍の猛反撃に遭って4ヶ月で停戦を迎えることになる。かろうじて独立を保ったフィンランドではこの戦いは「冬戦争」と呼んでいる。

 第二次大戦初頭は、ソ連はドイツと不可侵条約を結んでおり、ポーランドにはドイツだけでなくソ連も侵攻している。その条約を突如破ってドイツはソ連へ侵攻を始め、東部戦線が開始される。その時、ソ連はフィンランドもドイツのシンパと見なしてフィンランドにも攻撃を始めたのだ。実際、フィンランドはドイツからたくさん戦闘機を買っていたのだ。

 フィンランドの戦闘機乗り達は、最初はアメリカから提供されたバッファロー戦闘機で戦っていたが、後半はメッサーシュミットを使っている。

どちらの戦闘機もフィンランドの飛行機乗りは使い熟し、エースのユーティライネンは一人で94機もソ連機を墜としている。その間、7.7mm銃弾を一発食らっただけだという。同じくエースのカタヤイネンは36機と1/2機を墜としているが、無傷ということがほとんどなく、被弾して機体が大破したりするが、なんとか飛行場まで戻ることを繰り返し、生き延びて巻末の対談へ参加している。巻末の対談は飛行機好きの私にとってはなかなか興味深い内容だ。

 

 東部戦線開始以来のフィンランド空軍の活躍にドイツのゲーリング元帥は気をよくして、「一緒にレニングラードを奪い、山分けにしないか」と言ったらしいが、フィンランドのマンネルハイム元帥はその申し出を拒否して最後までレニングラード攻撃には協力しなかったそうだ。

 もし攻撃をしていたら、戦後、フィンランドはソ連に奪われていたかもしれない。

 ノルウェーは連合国側に立ち、ドイツと戦うが占領されてしまう。王室や政府やそして空軍も他国へ亡命する。フィンランドに亡命した飛行士もいたようだが、自分たちを追い回したメッサーシュミットを目の前にしなければならないのは、気持ちの良いものではないだろう。

 スウェーデンは、中立を保ちながら、飛行機を買い集め、自国でもJ22という1000馬力エンジンでは最高速の戦闘機を作っている。様々な国から買い集めた飛行機の中には、イタリア・カブロニ社のCa313というとんでもない機体もあったようだ。戦闘で堕ちるのではなく、故障で墜落する機体があとを絶たず、そのために44人も亡くなっているという。戦後、政府の代表がこの賠償を求めにイタリアへ行くがカブロニ社はとうにつぶれていて賠償を取り損なったというエピーソードもこの本には書かれていた。

 文庫本ではあるが、私が知らなかったことばかりの中身の濃い本であった。

 

 

『砂漠の狐を狩れ』

  スティーブン・プレスフィールド 著  村上和久 訳  平成21年新潮文庫

 イギリスの長距離砂漠挺身隊の物語です。
 ドイツ軍ロンメルのアフリカ軍団を攻撃する時に、ジープとトラックによる偵察および奇襲部隊が組織されました。それが長距離砂漠挺身隊です。
 ジープ1台にトラック数台という身軽ないくつかのチームが砂漠を駆け巡り情報を集め、時には、ASA(イギリス空軍特殊部隊)とともに奇襲をかけるという作戦です。
 目標は、砂漠の狐と異名をとるロンメルです。
ロンメルは、後方の安全な場所に居て指揮を執るのではなく、常に前線に出て陣頭指揮をしていました。しかも、ひとところに居ることはなく、その神出鬼没さに、彼の居どころを突き止めることは難しかったようです。
 この本は、小説です。
しかし、実在の人物も多く登場し、その人物たちが関わった戦闘は史実通りなのだそうです。そうした中での架空の主人公の活躍は、リアルなノンフィクションのように読むことができます。
 著名な海洋小説の主人公ホーンブロワーのようです。

 主人公の人柄を読者にわかってもらうために前半部分は欠かせませんが、冒険小説のように面白いのは後半です。

 この小説が良いのは、アクションシーンだけでなく、人間性がよく描けていることです。
 仲間たちの心の絆を描くだけでなく、ドイツ兵やイタリヤ兵を敵=悪者とワンパターンに決めつけず、同じ人間として描かれています。

 

 戦争物にしては不思議と読み終わって、どこか救いがあるのです。

この本を私は、何回も読み直しました。
最初は地理的な位置関係が頭に入っていなかったのです。地図は巻頭に載っていますが、最初に読んだ時はどのような動きをしたのかわからなかったのです。

何回か読むうちに、描かれている地形が目に浮かぶようになりました。
その地形を自由に動き回る、主人公たちのジープとトラック。

読むうちに、その模型を作ってみたくなりました。
ヤフオクで手に入れました。

 3つセットで1980円で落札しました。

 『熱砂の海』という長距離砂漠挺身隊の活動を映画化したものがあることを知り、こちらも中古を手に入れました。まさに小説にも出てくるシボレーのトラックです。砂漠でタイヤが埋まってしまったときに、車に積んである道具でどのように抜け出すのかが面白かったです。

 リビアで撮影されたようですから、小説の舞台とも同じで、リビアの砂漠の様子がわかって良かったです。

 ただし、ストーリーは、小説『砂漠の狐を狩れ』の方がはるかに面白く、この小説を映画化した方が良いのではないかと思いました。映画化されたという話は聞いていませんが、ディズニーが映画化権を持っているようです。

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